博士以前

人間です

初めから持ってないのに胸が痛んだ

文章を書きたい。ツイッターの140文字ではない、もっとまとまった自分なりの考えを、自分のために残しておくようなものが書きたい。

でもいざPCの前に座ってキーボードを打とうとしても、書くべきことが見つからず手が宙を彷徨う。 自分の中には語るべきものなのなど何もないのではないか、空っぽの人間なのではないかという無力感に苛まれることになる。

自分の生活や研究のことについて、それなりに普段から考えているつもりだった。でもそれに具体的な形を与えようとすると、思考があっという間に霧散してしまう。 それは結局僕が真剣でなかったということなのだと思う。

とにかくそうやって霧散して行く思考をなんとかかき集めてみる。

ここ最近知っている人たちが研究を辞めた/辞めそうという話をよく耳にする。 それは残念だと思う一方、仕方がないなという気持ちにもなる。

僕の研究分野は、はっきり言って今暗黒時代だろう。 研究の質よりも量(~ productivity)が重視されているように見える。でもこれは仕方がないのだ。 なぜなら、実験や観測から新しい発見がないから。そういう状況では、じっくり物事を考えるより、たくさん論文を書いて研究所全体の活動を活発にしてくれるような人が好まれるのは当然だと思う。

こういう時代になっていることはもちろん大学院に入学する前にもある程度は知っていた。 しかしそれを覚悟で入ったかと言われると少し違う。 当時の僕はそもそもそんなことを真剣に気にするほど自分の人生をきちんとは考えていなかったし、なんだかんだで自分にできることは見つかるだろうと楽観していた。 そしてこの楽観はある程度期待通りに働いた。そもそも人と同じことをやりたくない性格なので、ちょっとひねくれたテーマを見つけてそこから論文を書くことができた (これはもちろん独力で研究を進められたという意味ではなく、僕がそうやってやりたいことをアピールすると、適当な研究者とパイプができて彼らにうまくネタをもらうことができたという意味である、念のため)。

大学院に入って今まで自分のやっていた勉強はただの散発的な趣味でしかなかったことがわかったし、趣味的な勉強では決して得られなかった深い理解に達することができたのは本当に良かったと思う。 自分がもう一回人生をやり直してもやっぱり同じ道に進むのではないだろうか。

しかしこの先どうするかというのはとても悩ましい。面白い問題はいくつかあるし、小さなテーマでもきちんとやって論文にすると満足感はあるものだ。 一方で、自分の人生をかけるほどの重要な(かつ僕が頑張れば解けるかもしれない)問題があるかと言われると、答えに詰まる。 そういうことに深く悩まず、自分の業界内でのステータスを上げるゲームだと思って研究を続けられる人もいると思う。 もしくは、とにかく自分の好きなことや面白いと思うことができていればそれで良いという人もいる。 でも僕はそういうタイプの人間ではない。

大学を卒業してもう何年も働いているような知り合いにこの手の話をすると、「せっかくここまできたのにもったいない」とか「そうはいっても仕事は一生のものだから」「わたしの仕事だってそういう小さいことの積み重ねだよ」という言葉をもらうことがある。 これは僕がうまく考えていることを伝えられていないのも悪いんだろうけど、正直彼らの言うことはちょっと違う。 学生の地位が低いこの国で五年間低い給料に喘いで、卒業したら何年も短い任期の職に応募しなければならないこと、その後日本に帰ってきて研究を続けられるのがほんの一握りだということは人の心を相当弱らせるということはなかなか実感できないのだろう。

まあ悩んでいても仕方がないので、GWが明けたら色々行動しようと思っている。 研究も、それなりにやることはあるし、国際会議に参加する予定もあるのでまだまだ気楽な学生生活は続いていく。

ネガティブなことを書いてしまったけど、大学院生というのは心を病みがちなので許してほしい。